飯とカメラとアウトドア 

家にいるとソワソワする。外に出ると家が恋しくなる。何をしていても落ち着かない、社会人のブログ。

熊野古道 *7 最後のお伊勢参り

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昨日はかなり強い雨が降ったため一日中宿でライターのバイトをしていた。

今までは雨だとやる事がなくて大人しくYouTube見てるくらいしか出来ないことがリモートでもできる仕事があると、こういう時の時間をうまく使えることに気づいた。

 

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今日は最後のお伊勢参り伊勢神宮に行く。

1週間前に中辺路の滝尻王子を出発し、長い長い熊野古道もここ伊勢神宮を巡ることで終了する。

 

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朝のピリッとした少し緊張感の漂うおかげ横丁を通って神社を目指す。普段であれば観光客で賑わいを見せる通りも、朝は閑散としており少し寂しい雰囲気が流れている。

 

トコトコ歩くこと5分、伊勢神宮前の大鳥居に到着。人がいなくて寂しげな雰囲気は、神社の中では厳かな気配へと変わった。
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今日も鳥居が美しい。ここ1週間で何度も見たけど、なぜ鳥居はここまでカッコよく見えるのだろうか。なにか形に黄金比率でもあるのだろうか。


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鳥居だけでなく、境内には樹齢800年を超える杉が生えている。人工物である鳥居に対して、こちらは自然の生み出したものであり、その迫力は到底人力では到達できない域にいるのではないだろうか。
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思えば人力で旅をすればするほど、自然の脅威や美しさに圧倒されることが増えた。

自分の足で動くからこそ、自分の力の限界をよく思い知る。それは悔しくもあり、己の力が小さいからこそ、人や動物と共存していくことの大切さに気づく良い機会となる。

 

今回はこれまでとは違い、自転車を置いて歩きでの旅となったが、その分これまで知らなかったことにたくさん気づくことができた。

 

大きな点では二つ。

一つは徒歩のスピード感。

 

車や電車に比べて自転車はとても移動時間が遅い。そのため、進める距離は少なくなるが、その分ゆっくり見て考えることができる。

 

徒歩は自転車よりも遅い。

自転車が平均18キロとかで走るのに対し、徒歩は時速3〜4キロほど。

僕は行くまでは、到底この5分の1の速度では遅すぎて退屈してしまうのではないかと感じていた。

 

実際は別だった。

自転車でもかなり普段より多くのものを見られると思っていたが、徒歩だとさらに見えるものが細分化される。

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例えば自転車では『あの木、綺麗だな』と感じるものが、

 

徒歩だと『あの木は葉っぱが広葉樹で太陽の光が十分に当たって緑色が映えていて、影になる幹とのコントラストがはっきりするから綺麗に見えるんだな』

というように細かく見ていくことができる。

 

一歩一歩進むので、葉の葉脈まで眺めることができるし、砂の一粒まで拾うこともできる。

もちろん、徒歩なのでバスや電車で自由に動くこともできるため、自転車が一定の速度で進んでいくのに対して、緩急をつけて縦横無尽に進めるのもメリットだと思う。

 

 

二つ目は感謝の深層化である。

 

考えの細分化に似ているのだけど、徒歩では荷物を全て背負う必要がある。そのため、多くの水や食料は積めないので、頻繁に買い物をしたり、レストランに行く必要がある。

 

自転車であれば1週間分の食べ物と水を買っておけば問題ないし、自転車のスピードであれば1日中走っていて補給がない、というところも日本ではほとんどないだろう。

 

今回歩いた和歌山の山奥では電波も繋がらず、水飲み場も少ない箇所は多くあった。そんな時に食事ができるレストランがあるというのはそれだけで非常にありがたい存在である。さらに言えばホテルやバス、電車等の公共交通機関がなければ、非常にハードな旅になったはず。

 

今回はコロナウイルスの影響で観光業は大きく打撃を受けたはずだが、そんな中営業してくれている彼らには尊敬の念しかない。

 

また、人力で旅をしていると、『自分の力のみで動いている』一種の自惚れのようなものが湧いてくる。頑張っている分、よくしてもらって当然、のようなものだ。

 

熊野古道自体、ワイルドな自然というより管理された山であるため、歩いている時も歩かさせてもらっている、いう気持ちが強く現れる。綺麗に剪定、間引きされた杉の木、整備されたルート、サポートしてくれる地域の人々…多くの人が僕の今回の旅を縁の下で支えてくれていたはず。

 

いままでは結果に対してのみ感謝することが多かったけど、これからは見えない部分にも感謝できるようになるといいな。


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伊勢神宮でお参りした後、なぜか体が軽くなった気がした。ずっと歩いてきて足も腕ももうパンパンなのに。今まで背負ってきた余計なものがスッと塵になって消えたかのような、そんな清々しい気分。

 

 

まだまだ歩いていない部分もあるため、また歩いてみたい。今度はもっと身軽な装備で、さらに今回よりもゆっくりと歩いてみたいものです。

 


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