一年半前、僕はアメリカ大陸から帰国し、ある意味無敵でした。
九ヶ月間人々と交流し続け、山を、砂漠を超え続けたことで確かな自信と実感がついていた。
今の自分なら何でもできるような気さえしていた。
そう、無敵のように思えていた。
帰国してからは、旅していた時に比べるとなんてことない日々を過ごしていました。
さまざまな場所で報告会や写真展をさせてもらう機会を頂き、突飛なことをしている学生は山のようにいることを知りました。同時に、過去に囚われ続けているちっぽけな自分がいることに気がつきました。
そんな現実から目を背けるように、言われたまま、されるがままに研究や就活に挑みました。思いのほか、それらはうまくいき、またちっぽけな自分が芽を出すのを感じました。
だんだんと、自分が旅をする前に戻っていくのを感じました。
それは決して心地の悪いものではなく、自然に、すんなりと受け入れられるようなもので。
じわじわと、ぬるま湯に浸かっていたことに気づきながらも、甘んじる日々でした。
そして、そんな自分に嫌気が指した。
僕は何のために生きてるのだろう? 最近はそんなことをよく考えます。
周りの人達は恋人を作り、仕事に励み、友達と笑いながら人生を謳歌している。
結婚する人も増えた。
僕は何がしたいのだろう。
生きるように旅する。そんな言葉があります。
人生は旅だとは思わないが、旅をするということはすなわち生きることと同じだと思う。
自転車で走り、ご飯を作り、大自然と共に寝て、太陽と共に起きる。
こんな生活を続けていると、日々の生活で溜まった泥のようなものが濾されていくように、思考が『生きること』にシンプルになっていく。
綺麗な景色を見れば見るほど、言葉も通じない人と優しさを介して話せば話すほど、生きるために思考するようになる。生きるように、旅をするようになる。
旅に出る前の自分がみたら、こんな言葉は笑ってしまうと思う。
でも、今は確かにそう思うのです。
出発前、様々な人から応援のメッセージを頂いた。『すごいね!』『冒険だね!』なんて言われると、ちっぽけな自分がまた出てきそうになる。
そんな周りの後押しに押され、飛び出すように出国審査のゲートをくぐると、そこから先は自分のみだ。ここから先は、未知の世界が広がっている。
この一年半、ぬるま湯に浸かった目からは涙が出そうになった。孤独感に包まれて、戻りたくなる自分がいた。自分はなんて甘えた生活をしていたんだろう。ちっぽけな自分は、ちっぽけなままでした。
だけど。
どうしても行きたい、という思いもある。それもきっと、ありのままの自分です。
怖いけど、もう一度、あの生きる実感を感じたい。甘ったれた自分とさようならするために。
すっかり使い古されたモンベルのジャケットに手を通すと、少しだけ勇気が湧いた気がした。
さぁ、アイスランドに出発です。
ひさびさに見える飛行機からの朝日は、涙を乾かすほど綺麗でした。