『年末に二週間の休みを頂けないでしょうか…?』
面談時にそう言ったのは九月の頃。
面談自体は課長と普段の業務成果を確認するためのいつもと何も変わらない面談。
だったが、最後のほかに何かあるか?と聞かれた際、僕はそう聞いてみた。
聞いてみたというのもおかしい。なぜなら休みを取ることは確定していたから。
僕はその時点で既にニュージーランド行きの航空券を取っていた。
最後に自転車でキャンプツーリングをしたのは、おそらく3年前のアイスランド一周の時。それから会社に入り、大阪に引っ越してからはキャンツーの世界からは離れていた。新しい生活が始まり、新しい仲間と趣味ができ、自然と行くことが少なくなったから。
旅で使っていた自転車は通勤バイクに変わり、旅で使用していた装備は部屋の掛け軸となり埃を被っている。部屋に飾られた写真達を見ると、懐かしいなと思う反面、本当に自分が行ったのだろうか…?と違和感のようにも感じる。過去に旅をしていた時の自分と今の自分がどうにも繋がる気がしない。
会社員になると長期の休みを取るのは難しい。
大学を卒業する前に、先輩達から散々言われたことだった。昔の僕はかなり生意気だったから、そう言われるたびに、休みを取る勇気が無いだけでは…?と口には出さないが思っていた。
いざ入社してみて2年半経った今でも、休みを取ることはできると思う。但し、二週間空けるとかなりしんどいというだけだ。行ったとしても、戻ってきた後メールの山ができていることは見えているし、自分の業務が遅れることにより他の人に迷惑をかけてしまうことは勿論、帰ってきた後も暫くはその処理に専念しなければいけない。それを想像してしまう為、次第に足が遠くなる。
また、周りは結婚したり、趣味を仕事にし始めたりして、次のステップに進む人も増えてきた。僕は現在、ただ自己満足の為に趣味のアウトドアスポーツをすることしかできておらず、他の人のためになるような行動はしていない。
その為、趣味をしていても自分の為にしかならないのではないかとモヤモヤしてしまう。モヤモヤを誤魔化す為に週末は予定をとにかく詰め込んでいたが、それでもモヤモヤが払拭されることはなかった。
そんな中、ふとキャンプツーリングに行きたくなったのは、昔の感覚を懐かしく思うようになったからかもしれない。
電波のないところで自転車と釣りに没頭し、今を生きることに必死になれば、頭の中がシンプルになる。生きるように旅をするようになる。
海外に行くことにはあまり緊張しなくなった。歳を取れば取るほど、感動の起伏は減っていくと言われている。前みたいな喜怒哀楽は段々と少なくなってきたし、過去に感じたような湧き上がるような気持ちはもう感じることはできないのかもしれない。
但し、それは行かないことには繋がらないと思う。僕の性格上、やらねば一生分からないから。
せめてこの旅行中は他のことをあまり考えず、シンプルに久々の海外自転車旅行を楽しみたい。
ちなみに、面談の質問の答えは、僕が思っていたよりもずっとあっさりと、イエスだった。